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更新日 2010年9月6日



731細菌戦部隊の恐るべき全貌

65年前戦争の狂気が生んだ恐るべき人体実験の全貌
このような悲劇を二度と繰り返してはならない
広島・長崎原爆同様、731細菌部隊が行った悲劇を
後世まで伝えて行かなくてはならない。

731部隊は、旧関東軍が第2次大戦末期に満州国が置かれた黒竜江省ハルビン市に伝染病予防や兵員の飲料水の水質浄化を目的に配備したとされているが、実際には細菌戦研究のために人体実験が行われ、数千人の中国人、旧ソ連人、北朝鮮人、モンゴル人の捕虜や民間人が犠牲になったと言われている。
この事実は体験者多数の方の証言及び731部隊に配属されていた方々の証言にも関わらず、現在でも日本国はタブーとして65年たっても認めていないのが現状です。犠牲になられた方々のご冥福をお心より祈りいたします。



掲載の内容は資料文献及び体験者からの情報による掲載である

お詫び 減圧実験で体内の臓器が飛び出すなどの掲載をしておりましたが
全くの間違いだと分かりましたので訂正いたします。
尚、ビデオ紹介 ( 黒い太陽731 ) に掲載されている写真で減圧実験再現の元は
森村誠一 作 ( 悪魔の飽食 )に書かれている内容を忠実に再現したものです。
従いまして、実際の減圧では人の体内から臓器が飛び出すことはありません。


***** リンク *****
第731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟 第731部隊元隊員証言記録
第二次世界大戦資料館 長崎原爆資料館
広島原爆資料館 西日本新聞社
日本放送協会 NHKオンライン 毎日新聞社


     


サイト内リンク


細菌の感染実験後の生体解剖 ( 731部隊展より )
関東軍第731細菌部隊隊長  石井四郎の略歴
第731部隊とはどんな部隊なのか ( 動画有り )  58分34秒
第731部隊 組織構成
第731部隊 細菌/毒ガス研究の実態
第731部隊 実験で使用していた ノミ ・ ネズミ ・  黄鼠 紹介
第731部隊 関係者名簿
第731細菌部隊ビデオ紹介 ( 1988年公開作品  黒い太陽731 動画有り )
 ***** 731細菌部隊 掲示板 *****



ボイラー室があった建物。敗戦が迫り、ソ連軍が間近に迫ったとき、731部隊員は、ソ連軍に細菌戦の準備をしていたかどで戦争犯罪に問われることを恐れ、このボイラーで証拠書類を焼却した。731部隊員が逃亡するときに石井四郎の命令によって爆破していった。煙突はもともと3本あったのだが、逃亡する際の爆破によって1本は倒れた。このボイラー室から731部隊全体に給湯され、セントラルヒーティングの設備が整っていた。セントラルヒーティングは隊員の生活のためというよりも、ペスト、コレラなどの細菌兵器を培養するために必要とされた。
731部隊はさまざまな生体実験を行なっていたが、そのひとつ、凍傷実験をしていたとされる建物。ハルピンの冬は寒く、氷点下40度にも達することもある。その中で、水につけた手を外気にさらさせたり、裸足で戸外に立たせたりなどして凍傷を起こさせる実験を繰り返した。これらの実験にも丸太(マルタ)が使われた (動画参照)
731部隊は実験用の黄鼠(リスの一種)を飼育していた建物。本部棟の裏にある
731部隊員が逃走するとき、これらの細菌に感染したノミやネズミを放置していったため、731部隊逃走後、この地域でペストが流行し、数百人が犠牲となった。
凍傷実験を行っていた跡
石井式細菌爆弾とか宇治式細菌爆弾と現在言われているもののレプリカ。これは釉薬まで施されたさすが中国という陶製だが、本物は素焼きで、土器と呼ぶべきものだった。対ソ、あるいは対米戦での最終兵器と考えられていたので、支那軍相手には使用したことはなかった。
しかし、中国本土では別の方法で実際に細菌を実戦に使ったことはあった
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関東軍731細菌部隊隊長  石井四郎 中将の略歴

  

石井四郎 中将 (関東軍731細菌部隊隊長) 1892年6月25日 - 1959年10月9日
1892(明治25)年6月25日千葉県出生まれ。京都帝大医学部を首席で卒業。京都帝大総長、のちに学習院院長,枢密顧問官などの要職を歴任、生体内乳酸生成などの研究で有名な荒木寅三郎の娘婿1921(大正10)年陸軍軍医。1925(大正14)年に調印された細菌兵器の使用を禁ずる「生物化学兵器禁止ジュネ−ブ議定書」から細菌兵器の開発に着眼する。ヨーロッパ出張後、細菌戦の必要性を説き、1933年陸軍軍医学校部員として防疫研究班を創設。1936(昭和11)年関東軍防疫部長となり細菌兵器研究の組織化を図る。「石井式濾水器」を発明し、これを用いて給水活動を行う。1940(昭和15)年関東防疫給水部部長、後に731部隊長。1945(昭和20)年8月のソ連軍参戦で脱出・帰国。中将で敗戦。戦後、新宿区若松町で陸軍が使用していた建物を利用して旅館を経営。1959(昭和34)年10月9日、喉頭癌のため67歳で死去。
        
        石井式濾水器 ( この装置に排尿を入れると尿を濾過し排尿でも飲めると言うもの )
            戦闘にて水の確保が出来ない場合には、この濾過器を使用していたと言われる。

大正 9年 3月、京都帝国大学医学部卒業。後、陸軍軍医候補生志願。
大正 10年 陸軍軍医中尉(二等軍医)となる。東京第一陸軍病院に軍医として勤務。
大正 13年 京都帝国大学で大学院生として細菌学、衛生学、病理学を研究。
大正 14年  陸軍軍医大尉(一等軍医)に昇進。
昭和 2年 3月、博士号を取得。京都衛戍病院勤務となる。この年、京都帝国大学総長荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
昭和 3年 海外視察。
昭和 5年 海外視察修了・帰国する。
昭和 6年 1月、陸軍軍医少佐(三等軍医正)に昇進。陸軍軍医学校教官に任命される1925年の「ジュネーブ議定書」(生物化学兵器の禁止)に着目し、細菌戦部隊の創設を提唱。
昭和 7年 1月、「石井式細菌培養缶」を開発。この特許を申請。翌年に認められる。 4月、陸軍軍医学校防疫部の地下室に「防疫研究室」を設立。 「石井式濾水機」の試作品が完成。 8月、満州へ出張。ハルビン市背陰河東方数十キロの田舎に細菌兵器防衛研究所の設立開始。機密保持上、研究所は東郷部隊の暗号名で呼ばれ、石井は氏名を東郷と名乗る。
昭和 8年 3月、陸軍軍医学校において細菌学を教育する。 9月30日〜1934年(昭和9年)3月30日の半年間、再び満州に滞在。
昭和 10年 陸軍軍医中佐(二等軍医正)に昇進。
昭和 11年 東郷部隊が天皇の認可により、正式な部隊(皇軍)となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫給水部を編成。旧日本軍の習慣によって部隊長の名を冠した「石井部隊」の通称名で呼ばれる。
昭和 13年 8月、陸軍軍医大佐(一等軍医正)に昇進
昭和 14年 5月11日、ノモンハン事変勃発により、野戦防疫給水部長として出動。 10月1日、ノモンハンでの石井部隊の防疫成果が認められ、関東軍より感状が授与される。石井は功四級金鵄勲章と陸軍技術有功賞を授章する。
昭和 16年 3月、陸軍軍医少将に昇進。 4月、部隊名を秘匿名、「満州第731部隊」と改める。
昭和 17年 8月1日、南京の山東省第一軍軍医部へ派遣され、関東軍防疫給水部を離れる。
昭和 18年 8月、陸軍軍医学校附として東京に帰還
昭和 20年  3月、陸軍軍医中将に昇進。関東軍防疫給水部長に再度就任。 5月、終戦直前に満洲第731部隊を「満洲第25202部隊」と改称する。 8月、ソ連軍の侵攻によりハルピンを脱出し帰国。 11月10日、千葉県山武郡芝山町にて石井の偽装葬儀が行なわれる。 戦後、東京都新宿区若松町で旅館を経営。極東国際軍事裁判(東京裁判)で戦犯容疑を受けるが、米軍に研究資料を提供したため、訴追を免れたとされる。
昭和 34年 喉頭癌のため国立東京第一病院で死去。 享年67歳。葬儀委員長は一時期関東軍防疫給水部長に就任した北野政次が務め、墓は河田町月桂寺に建てられる
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731部隊とはどんな部隊なのか ( 動画時間 58分34秒 )


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731部隊とは大日本帝国陸軍の関東軍防疫給水部本部の事。関東軍管轄区域内の防疫・給水業務を行うことを目的に設置された。細菌・化学戦研究の為に生体解剖などを行ったとされている。

初代部隊長の石井四郎(1892年 - 1959年、陸軍軍医中将)に因んで石井部隊とも呼ばれる。
細菌戦の研究・遂行のために、中国・満州(中国東北部)のハルビン([Harbin] 黒竜江省の省都で、19世紀末にロシア人が建設し、鉄道交通の要地として発展した松花江中流の南岸に位置する都市。哈爾浜とも書く)郊外に、満州事変勃発翌々年の1933(昭和8)年8月に創設した特殊部隊の略称。秘匿名、満州第731部隊、正式名、関東軍防疫給水部本部。部隊の設置にあたっては、大日本陸軍命令(大陸命)が出された。

1939(昭和14)年に平房(ピンファン)付近(現在の黒竜江省平房区)に6キロ平方メートルにわたる広大な敷地に移転した同本部は、総務部、第1部(細菌研究)、第2部(実戦研究)、第3部(濾水〔ろすい〕器製造)、第4部(細菌製造)、教育部、資材部、診療部で構成され、大規模な各種研究実験施設、細菌製造工場、常時80から100人収容可能な特設監獄、死体焼却場、実験用のウサギ、モルモット、ネズミ、ノミなどを飼育する動物舎、そのほか鉄道引込線、発電所、宿舎群、さらには飛行場まで整備されていた。施設は特別軍事区とされ、機密性保持のためその上空は、日本軍機の飛行さえ禁じられた。

部隊には、東京大学や京都大学を初めとした国立大学医学部・医科大学の優秀な教授・医師、それに民間研究所の研究員らが軍属・技師としてきそって赴いたが、その数は2,600余人であった。菊池斉(ひとし)を部長とする第1部の役割は細菌兵器としての猛毒の細菌を開発で、ペスト、赤痢、脾脱疽(ひだっそ)、コレラ、チフス、結核の各研究班は生体実験により細菌戦のデータを集め、ウイルス、リケッチア・ノミの各研究班は中国東北部の風土病(流行性出血熱など)を生体実験で研究、昆虫班はどの種のノミがペスト菌の伝播(でんぱ=次々に伝わって広まること。「でんぱん」は誤読)に適しているどうか、また繁殖方法や散布方法などを、凍傷研究班は冬季における細菌戦や凍傷治療の有効方法を生体実験、さらに病理研究班は生体解剖や死体解剖、組織標本作製を担当していた。

血清研究班は伝染病への対症療法やワクチンの開発、薬理研究班は速効性、遅効性の毒物、化学薬品を生体実験し、敵要人暗殺用の特殊兵器を開発していた。

また生体実験のため送り込まれた捕虜は、女性や子供を含む中国人、ロシア人を中心とするモンゴル人、朝鮮人、少数のアングロ・サクソン系白人で、マルタ(丸太)と呼ばれた。彼らは1,000種類以上の生体実験、あらゆる生体解剖に使用されたが、その数は、1939年から1945年だけで3,000人以上といわれている。

石井四郎は、敗戦が濃厚となった1945年8月13日、証拠隠滅のため施設の完全破壊を命令、施設はことごとく破壊され、残されていた捕虜は全員が毒殺などによって虐殺された。戦後、石井ら幹部は、GHQ(連合国最高司令部)と取引し、東京裁判での戦犯追及を免れることと引き換えに、細菌兵器の資料を米軍に渡し、部下には、「秘密は墓場まで持って行け」と厳命した。そして、731部隊の幹部たちは高額の退職金を手にして、官公庁、国立大学(東大、京大、阪大、大阪市立大、防衛大学、金沢大などの医学部教授)、薬学研究所、病理学研究所、製薬会社(武田製薬)、自衛隊などに再就職をするのであった。

その数年後の朝鮮戦争で中国義勇軍の反撃に遭遇したアメリカ軍は、朝鮮・中国国境地帯に帯状に細菌戦や毒ガス戦を展開したが、それは731部隊の悪夢が朝鮮半島で復活したことを意味した。また、1948(昭和23)年8月、世間を震撼とさせた帝銀事件で当初警視庁は、使われた毒物が731部隊で製造されたものであるとの情報を根拠に内偵を進めていたが、上層部からの政治的圧力で、731部隊追求の捜査は一切中断させられる。そのため、一人の画家が犯人とされ、世紀に冤罪がここから生まれた。

なお、731部隊で石井を全面的に支えた一人が戦後日本ブラッドバンク(後のミドリ十字―1998年吉富製薬と合併し、吉富製薬となる、2000年ウェルファイド株式会社に社名変更、2001年ウェルファイド株式会社と三菱東京製薬株式会社が合併し、三菱ウェルファーマ株式会社が誕生する、2007年三菱ウェルファーマ株式会社と田辺製薬株式会社が合併し、田辺三菱製薬株式会社が誕生し現在に至る)を創設する内藤良一(京都大学医学部卒)や同社の取蹄役に就任する北野政次らであった。いうまでもなくミドリ十字は、非加熱製剤によるHIV感染( 薬害エイズ問題 )を事件を引き起こした企業である。

つまり、ミドリ十字ら血液・薬品産業は、部隊の生き残りによって創設され、売血・薬品で発展し、後年、薬害エイズを生み出す土壌を生むにいったのである。日本軍部の組織的犯罪が、現在も脈々と生き続けている一つの証左である。

               現在に至る田辺三菱製薬株式会社のあゆみ
   

問題を起こした企業   株式会社ミドリ十字   ( 薬害エイズ )
               田辺三菱製薬株式会社 ( 薬害肝炎 )

このように部隊の生き残りの部隊員からの情報資料を元に現在でも人体実験が実際に行われていると思われます。更に石井四郎はアメリカ合衆国に対して戦犯を逃れるために渡した実験資料を元にアメリカ合衆国でも同じ人体実験を行っている事も考えられる。
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第731部隊組織構成


総務部 副官室 調査課 翻訳班 印刷班 写真班
兵要地誌班 調査班 図書班 人事課 庶務課 労務班 庶務室 食堂 酒保 学校
企画課 経理課 管理課 建設班 工務班
動力班 運輸班
電話班 軍需課
第一部
部長:菊池斉
細菌研究
第一課(チフス) 田部班(班長:田部井和/チフス研究)
第二課
コレラ
湊班(班長:湊正男/コレラ研究)
第三課
生理・マルタ管理
吉田班(健康診断)  宮川班(レントゲン)  在田班(レントゲン)  
栗秋班(薬理)  草味班(班長:草味正夫/薬理研究)
石井班(捕虜入出管理)  蓬田班(捕虜入出管理)  
特別班(特設監獄)
第四課
赤痢
江島班(班長:江島真平/赤痢研究)
第五課
ペスト
高橋班(班長:高橋正彦/ペスト研究)
第六課
(病理)
石川班(班長:石川太刀雄丸/病理研究)
岡本班(班長:岡本耕造/病理研究)
第八課
(リッケチア)
野口班(班長:野口圭一/リケッチア・ノミ研究)
第九課
(水棲昆虫)
田中班(班長:田中英雄/昆虫研究)
第十課
(血清)
内海班(血清研究)  小滝班(ツベルクリン)
第十一課
(結核)
肥之藤班(脾脱疽)  太田班(班長:太田澄/炭疽研究)
樋渡班  降旗班(ペスト)  金沢班  貴宝院班(天然痘)
二木班(班長:二木秀雄/結核研究)  
笠原班(班長:笠原四郎/ウイルス研究)  
吉村班(班長:吉村寿人/凍傷研究)
第二部
(実施研究)
八木沢班(班長:八木沢行正/植物菌研究)
焼成班(爆弾製造)
 田中班(昆虫)  篠田班(昆虫)  安達実験場
第三部
(防疫給水)
庶務課  第一課(検索)  第二課(毒物検知) 
工作班(濾水機)  濾水機・弾筒製造窯
第四部
 部長:川島清
軍医少将
細菌製造

第一課(華頂:柄沢十三夫 軍医少佐/培養生産)  野口班(ペスト・脾脱疽) 第二課  第三課(乾燥菌・ワクチン)第四課(ワクチン) 
有田班(班長:有田正義/発疹チフス・ワクチン)  
植村班(瓦斯壊疽・脾脱疽)
朝比奈班(班長:朝比奈正二郎/発疹チフスおよびワクチン製造)
教育部
部長:西俊英
軍医中佐
隊員教育
 庶務課  教育課  衛生兵  炊事班  診療所  錬成隊  少年隊   
資材部 実験用資材
庶務課 第一課(薬品合成) 山口班(細菌弾) 堀口班(ガラス) 
第二課(購買補給) 第三課(濾水機) 第四課(倉庫)
第五課(兵器保管) 第六課(動物飼育)
診療部 (付属病院) 伝染病棟  診療室  家族診療所  憲兵室  保機隊
牡丹江支部
満州第643部隊
支部長 
尾上正男
軍医少佐

総務課  経理課  第一課  第二課  第三課  資材課  教育課
林口支部
満州第162部隊
総務課  第一課  第二課 資材課 教育課
孫呉支部
満州第673部隊
支部長
 西俊英
軍医中佐

総務課 第一課  第二課 資材課  教育課
海拉爾支部
満州第543部隊
総務課  第一課  第二課  資材課  教育課
大連支部
満州第319部隊
総務部  研究部  製造部
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七三一部隊細菌/毒ガス研究の実態

どのような細菌/毒ガスを研究していたのかを紹介

コレラ菌 コレラ菌
コレラ菌は、ビブリオ属に属するグラム陰性のコンマ型をした桿菌の一種。学名はVibrio cholerae。好アルカリ性で比較的好塩性の細菌である。1854年イタリア人医師フィリッポ・パチーニによって発見された後、1884年にロベルト・コッホがこれとは独立にコレラの病原体として発見した。しばしば誤解されるが、コレラ菌のすべてがコレラの原因ではなく、200種類以上の血清型に分類された中の「コレラ毒素を産生するO1型もしくはO139型のコレラ菌」が、ヒトに感染してコレラの原因になる。O1型は古典型とエルトール型に分類される。また、これ以外のコレラ菌もヒトに感染して食中毒の原因になる。いずれも主に河川や海などの水中に存在する生きた菌が、その水や付着した魚介類を介してヒトに経口的に感染しその腸内で増殖して、糞便とともに再び河川等に排出されるという生活環で生息している
症状 急激な水様性下痢、大量の下痢便の排泄による脱水症状により、種々の症状が起こる。軽症なものや、無症状に経過するものも多い。
結核菌 結核菌
結核菌は、ヒトの結核の原因となる真正細菌。1882年、細菌学者ロベルト・コッホにより発見された。ヒトの病原菌としてはコッホの原則にづいて病原性が証明された最初のものである。グラム陽性桿菌である抗酸菌の一種であり、細胞構造や培養のための条件など多くの点で他の一般的な細菌と異なる。特に、ミコール酸と呼ばれる特有の脂質に富んだ細胞壁を持つため消毒薬や乾燥に対して高い抵抗性を有する。保菌者の咳やくしゃみなどの飛沫、あるいはそれが乾燥したものを含むほこりなどから空気感染して、肺胞マクロファージの細胞内に感染し、肺結核をはじめとする各種の結核の原因となる
症状 初感染発症、内因性再燃発症のいずれの場合でも、食欲不振、全身倦怠感、微熱、悪寒、体重減少などの全身症状が認められる。 持続性咳嗽、喀痰などの呼吸器症状が共通して認められる。症状が進展した場合、胸痛、喀痰、喀血などが認められる
赤痢菌 赤痢菌
赤痢菌とは、グラム陰性通性嫌気性桿菌の腸内細菌科の一属(赤痢菌属)に属する細菌のこと。ヒトとサルのみを自然宿主として、その腸内に感染する腸内細菌の一種である。ヒトには主に汚染された食物や水を介して経口的に感染し、赤痢(細菌性赤痢)の原因になる。主に腸の上皮細胞の細胞内に感染する通性細胞内寄生性菌であり、細胞内では細胞骨格のひとつ、マイクロフィラメントを形成するアクチンを利用して細胞質内を移動して、さらに隣接する細胞に侵入し感染を広げるという特徴を持つ。1898年、志賀潔によって発見され、これは、医学的に重要な病原細菌の学名に日本人研究者の名前が付いている唯一の例である
症状 潜伏期は1〜5日(大多数は3日以内)。主要病変は大腸、特にS状結腸の粘膜の出血性化膿性炎症、潰瘍を形成することもある。このため、発熱、下痢、腹痛を伴うテネスムス(tenesmus;しぶり腹−便意は強いがなかなか排便できないこと)膿・粘血便の排泄などの赤痢特有の症状を呈する。近年、軽症下痢あるいは無症状に経過する例が多い。症状は一般に成人よりも小児の方が重いる
チフス菌 チフス菌
チフス菌とは、グラム陰性通性嫌気性桿菌の腸内細菌科の一属(サルモネラ属)に属する細菌のこと。主にヒトや動物の消化管に生息する内細菌の一種であり、その一部はヒトや動物に感染して病原性を示す。ヒトに対して病原性を持つサルモネラ属の細菌は、二類感染症に指定されている腸チフスやパラチフスを起こすものチフス菌とパラチフス菌と、感染型食中毒を起こすもの食中毒性サルモネラ:ネズミチフス菌や腸炎菌とに大別される。食品衛生の分野では、後者にあたる食中毒の原因となるサルモネラを特にサルモネラ属菌と呼ぶが、一般には、これらを指して狭義にサルモネラあるいはサルモネラ菌と呼ぶこともある。細胞内寄生性細菌であり、チフス菌やパラチフス菌は主にマクロファージに感染して菌血症を、それ以外の食中毒性サルモネラは腸管上皮細胞に感染して胃腸炎を起こす性質を持ち、この細胞内感染がサルモネラの病原性に関与している
症状 感染後、7〜14日すると症状が徐々に出始める。腹痛や発熱、関節痛、頭痛、食欲不振、咽頭炎、空咳、鼻血を起こす。3〜4日経つと症状が重くなり、40度前後の高熱を出し、下痢、または便秘を起こす。バラ疹と呼ばれる腹部や胸部にピンク色の斑点が現れる症状を示す。腸チフスの発熱は「稽留熱(けいりゅうねつ)と呼ばれ、高熱が1週間から2週間も持続するのが特徴で、そのため体力の消耗を起こし、無気力表情になる(チフス顔貌)。また熱性せん妄などの意識障害を起こしやすい。2週間ほど経つと、腸内出血から始まって腸穿孔を起こし、肺炎、胆嚢炎、肝機能障害を伴うこともある
炭疽菌 炭疽菌
炭疽菌は、炭疽(炭疽症)の原因になる細菌。病気の原因になることが証明された最初の細菌であり、また弱毒性の菌を用いる弱毒生菌ワクチンが初めて開発された、細菌学の歴史上で重要な位置付けにあたる細菌である。また第二次世界大戦以降、生物兵器として各国の軍事機関に研究され、2001年にはアメリカで同時多発テロ事件直後に生物テロに利用された。
症状 芽胞の吸入による肺炭疽が最も重症である。肺炭疽は急性出血性縦隔炎を起こす。初期には感冒様症状を呈しそれ以外の特徴的な症状は見られない。その後急性呼吸困難と敗血症が起きる。潜伏期は通常1-5日(60日におよぶ場合もある)で急性症状が出てからは、抗生剤投与しても24時間以内に死に至る可能性が高く、死亡率は90%におよぶ
ペスト菌 ペスト菌
ペスト菌は、人体にペスト菌、エルシニア・ペスト 通性嫌気性/グラム陰性/無芽胞桿菌が入ることにより発症する病気。日本では感染症法により一類感染症に指定されている。ペストは元々齧歯類(特にクマネズミ)に流行する病気で、人間に先立ってネズミなどの間に流行が見られることが多い。菌を保有したネズミの血を吸ったノミ特にケオプスネズミノミに人が血を吸われた時にその刺し口から菌が侵入したり、感染者の血痰などに含まれる菌を吸い込む事で感染する。人間、齧歯類以外に猿、兎、猫などにも感染する
症状 ペスト菌が体内に入って2〜5日たつと、全身の倦怠感に始まって寒気がし、高熱が出る。その後、ペスト菌の感染の仕方によって症状が出る、腋下や鼠頸部のリンパ節が腫れて痛む、リンパ節はしばしばこぶし大にまで腫れ上がる、その毒素によって意識が混濁し心臓が衰弱して、多くは1週間ぐらいで死亡する。死亡率は50から70パーセントとされる
天然痘菌 天然痘菌
天然痘は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つ。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう
症状 顔面と手掌、足底に及ぶ四肢を中心に強い紅班、水疱を伴う発疹が一斉に出現し、全身状態が重篤化する。
流行性出血熱 流行性出血熱
出血熱とは流行性ウイルス性出血熱の総称です。カによって媒介されるもの、ダニによって媒介されるもの、齧歯(げっし)類や霊長類から感染するものなど、媒介動物の種類によって大きく3群に分かれます。熱帯シマカというカによって媒介される流行性熱性疾患です。多くは予後は良好ですが、時に出血あるいはショックを起こして死亡することもあります。DF/DHFは、現在世界の熱帯・亜熱帯地域のほぼ全域にみられます。日本国内での流行はありませんが、輸入感染症として存在します。本症はデングウイルス(DV)の感染によります。DVは4種類の血清型があり、同型のウイルスに対しては免疫が成立しますが、交叉(こうさ)免疫は成立しません。つまり、各型のウイルスにそれぞれの感染を受ける可能性があります。血清型の異なるDVの再感染のほうが、重症化しやすいという説が知られています。潜伏期は通常4〜7日です
症状 発症は突発的で、発熱、頭痛、筋肉痛、発疹など。重症化すると、下痢、黄疸、多臓器不全など。致死率は25%
梅毒菌 梅毒菌
梅毒は、スピロヘータの一種である梅毒トレポネーマ (Treponema Pallidum) によって発生する感染症、性病
症状 感染後約3週間で発症する。治療しない限り体内に残り、最終的には死亡する。現代においては抗生物質の発達により、第3期、第4期に到達することはほとんどなく、死亡にまで至るケースは稀
マラリア マラリア
マラリア原虫は脊椎動物で無性生殖を、昆虫で有性生殖を行う。したがって、ヒトは終宿主ではなく中間宿主である。ハマダラカで有性生殖を行なって増殖した原虫は、スポロゾイト(胞子が殻の中で分裂して外に出たもの)として唾液腺に集まる性質を持つ。このため、この蚊に吸血される際に蚊の唾液と一緒に大量の原虫が体内に送り込まれることになる。血液中に入ると45分程度で肝細胞に取り付く。肝細胞中で1?3週間かけて成熟増殖し、分裂小体(メロゾイト)が数千個になった段階で肝細胞を破壊し赤血球に侵入する。赤血球内で 8〜32個に分裂すると赤血球を破壊して血液中に出る。分裂小体は新たな赤血球に侵入しこのサイクルを繰り返す。

症状 マラリアを発症すると、40度近くの激しい高熱に襲われるが、比較的短時間で熱は下がる。しかし、三日熱マラリアの場合48時間おきに、四日熱マラリアの場合72時間おきに、繰り返し激しい高熱に襲われることになる。(これが三日熱、四日熱と呼ばれるゆえんである。)卵形マラリアは三日熱マラリアとほぼ同じで50時間おきに発熱する。熱帯熱マラリアの場合には周期性は薄い。
凍傷実験 末端組織である、趾、足、指、耳、鼻、頬などに生じやすく、診断そのものは、受傷経過、視診により、容易。しかし、その深度や予後を推測することは、熱傷と同様難しく、受傷直後から日数を要する場合がある。受傷後に、深度が進行し、予後が悪くなる場合も。深度は、表皮のみの障害を1度と呼ぶ。発赤、腫脹、加温後灼熱痛を認める。真皮までの障害を2度と呼ぶ。1度に加えて水疱形成を認める。皮下組織にまで障害が及ぶと3度になり、皮膚の壊死、潰瘍が認められる。脂肪、筋肉、骨に及ぶ壊死を4度と呼ぶ。血清水疱、潰瘍形成、黒色状皮膚を認める
減圧実験 人体の周囲に空気などがある場合で釣り合いが取れている場合は、 血管の圧力が血管の周囲の組織(これ自体の圧力もある)に伝わり、 それが皮膚表面から外に圧力をかける。 また逆に大気から皮膚表面に圧力が加わり内外の圧力は釣り合いが取れている。 減圧は定常状態ではないが、とりあえず体の内圧の方が体の周囲の圧力よりも高くなる。
毒ガス実験 ( マスタードガス ) マスタードガスは人体を構成する蛋白質やDNAに対して強く作用することが知られており、蛋白質やDNAの窒素と反応し(アルキル化反応)、その構造を変性させたり、DNAのアルキル化により遺伝子を傷つけたりすることで毒性を発揮する。このため、皮膚や粘膜などを冒すほか、細胞分裂の阻害を引き起こし、さらに発ガンに関連する遺伝子を傷つければガンを発症する恐れがあり、発がん性を持つ。また、抗がん剤と同様の作用機序であるため、造血器や腸粘膜にも影響が出やすい。
毒ガス実験 ( ルイサイトガス ) ルイサイトガスはマスタードガス、ナイトロジェンマスタード、ホスゲンオキシムと同類で、びらん剤に分類される。 暴露直後にルイサイトガスは疼痛と水疱、ホスゲンオキシムは疼痛が接触局所に出現し、マスタードガスとナイトロジェンマスタードでは遅れて水疱が出現する。常温では褐色〜紫色(純品は無色)の液体。 刺激のある果実臭ないしゼラニウム臭を有する。 臭気を感知する濃度以下でも、眼や粘膜を刺激する。暴露するとまずびらん剤として作用し、続いて呼吸器系への刺激作用、 さらに全身のヒ素中毒を起こす。マスタードガスより揮発性が高いので、より広範囲に影響する。 二次汚染を防ぐため患者と接する者は防護を怠ってはならない(レベルD )皮膚に0.5mL 付着しただけでも重篤な全身症状を生じ、2mLでは致死率が高い。 眼に0.001mL 入ると穿孔や失明を起こすことがある。 ヒト半数致死量L C t 50 :1500mg- 分/m (ガス)
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731部隊が実験で使用していた ノミ ネズミ 黄鼠 紹介


ハタネズミ
731部隊が使っていたネズミは埼玉県の農家で飼育されていたものを輸入していた、ハタネズミは平地から高山帯まで広く分布し、農耕地・植林地・河川敷・牧草地などの草原的な環境に主に棲む。森林や高山のハイマツ帯にも現われる。草や根茎を食べ、度々農耕地などの作物に被害を与える。繁殖は不定期で、関東以東では春から秋まで続き、関西以西では春と秋にピークがあって冬にも少し見られる。ただし標高が高いところでは夏に一回繁殖する。一度に平均三〜五頭の子を産む。
ケオプスネズミノミ
731部隊はケオプスネズミノミを使用していた、ケオプスネズミノミはペスト菌Pasteurella pestisを媒介するノミです。別名をトンドネズミともいいます。成虫はヒトノミに比べて小さく1.5-2mm、頭は丸味を帯び、額の部分や胸部に棘はありませんが頭部の後縁 に5-6本の剛毛と触角の先に2本の剛毛をもつのが特徴です。ヒトノミは触覚に剛毛が生えていないので区別できます。クマネズミやドブネズミに多いノミですが、人や数十種の哺乳類にも外部寄生します。日本では本州、四国、九州の港で発見され、発生のピークは夏季です。ペスト菌はインド北部やアメリカ西部などのネズミに常在し、イエネズミ(クマネズミやドブネズミ)や人に感染して流行を起こします。幸い、現在の日本にはペストは存在していませんが、有毒なネズミやノミが侵入してくると流行の危険性があります。
黄鼠( 和名 ・ハタリス )
731部隊は実験用の黄鼠(リスの一種)を飼育していた。昼行性で地上または地下で生活します。体の特徴は、鋭く長い爪、短いしっぽ、小さい耳です。巣を地中に掘って作るので、それに適した体型になっている。種類によっては冬眠をします。臆病・警戒心が強いと言ったリスの性格である。
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七三一部隊関係者名簿

氏名 731部隊当時 戦後の職業
石井四郎 第一・三代部隊長 新宿区若松町で旅館経営
北野政次 第二代部隊長 ミドリ十字共同設立者・取締役
日本学術会議南極特別委員
文部省百日咳研究会
吉村寿人 凍傷研究班 京都府立医科大学学長
日本学術会議南極特別委員
生気象学会会長
笠原四郎 ウイルス研究班 北里研究所
田中英雄 ペストノミ研究班 大阪市立大学医学部長
湊政雄 コレラ研究班 京都大学教授
田部井和 チフス研究班 京都大学細菌学教授
兵庫県立医科大学教授
所安夫 流行性出血熱研究班 東京大学教授
帝京大学教授
江島真平 赤痢研究班 国立予防衛生研究所
二木秀雄 結核研究班 ミドリ十字共同設立者
岡本耕造 病理研究班 京都大学医学部長
近畿大学医学部長
石川太刀雄丸 病理研究班 金沢大学医学部長
金沢大学癌研究所所長
日本学術会議会員
草味政夫 薬理研究班 昭和薬科大学教授
八木沢行正 植物学研究班 国立予防衛生研究所
日本抗生物質学術協議会理事
朝比奈正二郎 発疹チフス・ワクチン製造班 国立予防衛生研究所
園口忠男 細菌戦研究班 陸上自衛隊衛生学校副校長
増田美保 細菌戦研究班 防衛大学校教授
安東洪次 大連支部長 東京大学伝染病研究所教授
実験動物中央研究所所長
春日忠善 大連支部長 北里研究所
文部省百日咳研究会
村田良介 南京一六四四部隊 国立予防衛生研究所所長(第七代)
小川透 南京一六四四部隊 名古屋市立大学医学部教授
内藤良一 陸軍軍医学校防疫研究室 ミドリ十字共同設立者・社長・会長
宮川米次 東京帝国大学伝染病研究所長 東芝生物物理化学研究所所長
緒方富雄 東京帝国大学伝染病研究所助教授 東京大学医学部教授
細谷省吾 東京帝国大学伝染病研究所教授 東京大学伝染病研究所教授
柳沢謙 結核研究 国立予防衛生研究所所長
小島三郎 東京帝国大学伝染病研究所教授 国立予防衛生研究所所長
小林六造 京都帝国大学教授 国立予防衛生研究所所長
戸田正三 京都帝国大学教授 南極特別委員
金沢大学学長
木村廉 京都帝国大学教授 日本医学会副会頭
名古屋市立大学学長
正路倫之助 京都帝国大学教授 第一期学術会議会員
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関東軍731細菌部隊の公開作品

映画制作国:香港 1988年〜1993年公開作品(日本国内では一部未公開) 監督:ムウ・トンフェイ
黒い太陽七三一 戦慄!石井細菌部隊 より

このビデオは日本国内では一般には販売されておりません、ご希望の方はDVD第一部〜第三部まで無料配布致しますので下記のご意見、ご感想メールからご連絡ください、その際、DVD希望と明記し、郵便番号・ご住所・お名前・お電話番号をお知らせください。但し着払いでヤマト運輸で発送いたします。(映倫:規制なしでSFX技術を駆使した残酷シーンが多くあり15歳以下の未成年者には視聴させないようにご協力ください。) 更にこの映画に使用している解剖人体実験は一部の屍体を使用しています。この映画は香港で撮影され古い作品の為、ノイズ、乱れ等が発生する場合があることをご了承ください。            管理者より

第一部 日本語吹替版 105分 第二部 日本語字幕版 101分 第三部 日本語字幕版 97分
制作年 1988年 制作年 1992年 制作年 1993年
残酷度 ★★★☆☆ 残酷度 ★★★★★ 残酷度 ★★☆☆☆
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黒い太陽七三一

この動画は黒い太陽七三一 ビデオの一部です。
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七三一細菌部隊罪業陳列館より





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参考文献
『悪魔の飽食 新版』森村誠一 1983年 角川文庫
『731部隊』 常石敬一 講談社現代新書
『昭和史の謎を追う (上)』 秦郁彦  文春文庫
『検証 旧日本軍の「悪行」―歪められた歴史像を見直す』 田辺敏雄 2002年 自由社
『ミドリ十字と731部隊ー薬害エイズはなぜ起きたのか』 松下一成  1996年  三一書房
『十五年戦争極秘資料集29 七三一部隊作成資料』 田中明 松村高夫編 不二出版 1991年
731部隊員作成による人体実験−きい弾(イペリット弾)
曝射実験や破傷風菌接種実験−における被験体経過観察報告書などを収載

『731部隊・細菌戦資料集成』CD-ROM 近藤昭二編 柏書房 2003年 ISBN 4760124047
『日本医学アカデミズムと七三一部隊』軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会 編1990年7月15日初版1刷発行、1993年9月25日新装第1刷発行制作 凱風社(初版)樹花舎(新装版)
『731』青木 冨貴子 新潮社 2005年
黒い太陽七三一 戦慄!石井細菌部隊 1988作品
アジアの声 (第8集) <七三一部隊> 戦争犠牲者を心に刻む会/編 東方出版 (1994.5)
医学者たちの組織犯罪−関東軍第七三一部隊 常石敬一/著 朝日新聞社 (1994.5)
七三一部隊の犯罪−中国人民は告発する [三一新書] 韓暁/著 三一書房 (1993.9)
十五年戦争極秘資料集 (第29集) <七三一部隊作成資料> 不二出版 (1991.8)
七三一部隊−生物兵器犯罪の真実 [講談社現代新書] 常石敬一/著 講談社 (1995.7)
七三一部隊と天皇・陸軍中央 [岩波ブックレット] 吉見義明,伊香俊哉/[著] 岩波書店 (1995.12)
七三一部隊のはなし−十代のあなたへのメッセ―ジ 西野留美子/著 明石書店 (1994.6)

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